空き家を探す

2025年04月17日
たにべえ

立ち話から学ぶ互助共助の文化と継承~マジですごいじゃん田舎~


ふと気づいたことがあった。


それはドラッグストアで買い物をしていたときのこと。



おばちゃん2人がそれはそれは大きな声で話をしていたときのことだった。



おばちゃんというのは声のボリュームが比較的大きい生き物で、


田舎のドラッグストアに鳴り響くその美声には思わず耳を奪われる。



この前息子が彼女と歩きよったとか、



スポ少で○○さんとこの子が全国に出るらしいとか、



どっから仕入れたんやその情報。と思うくらいの広い範囲のジャンルにわたり、


軽快にトークを繰り広げる。


田舎ではその情報の筒抜け具合を「見守られてんな~。」と思えるかどうかがひとつ、


暮らしやすいと思えるかどうかのカギな気もしている。


おばちゃんたちが○○さんのとこの息子が何歳になったとか、



高校はどこに進学したかとか、



そんな話をかましている傍らであることに気付いた。




今日はそんな話です。




何に気付いたのか。




それは、狭い店内でおばちゃん同士の会議が1組なのに対し、


おじさん同士の会議が3組も同時に存在していたこと。




「これ、すごい発見じゃん。」と思った。






そもそも井戸端会議というものをウィキペディアで調べるとこういう感じの意味らしい。



(以下引用)


井戸端会議(いどばたかいぎ)は、かつて長屋の女たちが共同井戸に集まり、
水くみや洗濯などをしながら世間話や噂話に興じたさま[1]。主婦同士などによる世間話のこと。


(引用終わり)



なるほど。元々は女性のものなんや。


この多様性の時代に男とか女とかそういうのはどうでもいいとして、


おじさん同士のドラッグストアでの立話に遭遇することは雲南市に移住してから多々あった。



なんなら自分が『立ち話おじ』になっているときすらあった。


ただ、同じ店内に3組が一気に出現するくらいのインパクトじゃないと気付かなかった、おじさんの立ち話。



ちなみに僕は県外出身だが、父が店でおじさんと立ち話をしているところを見たことがない。


決まって立ち話はオカンのものだった。


そんなオカンやおばちゃんの代名詞みたいな『立ち話』というコンテンツをおじ達が…?



角を曲がれば『立ち話おじ』。あっちにもこっちにも。包囲されている。



その日、僕は何を買いにきたのかしばらく思い出せず店内をうろつくことにした。



ここで気になったことがまず1つ。


長さである。



おじ達の立ち話がおばちゃんのように長いのか、否かである。




例えば、


「おっ!ひさしぶり~!最近どう?」と、あいさつ程度の会話を交わすのであれば、それは立ち話とは言わない。


しかし、その日の3組は少なくとも10分ほど話し込んでいる。




まぁ一番やばいのは「立ち話をしているおじさんが平均してどのくらいの尺で話をするのか。」



という興味だけで10分以上ドラッグストアをうろついている僕なのだが、いったんそれは置いておく。



おじさんは10分も話すのだ。店内には相変わらずおばちゃんの声は響いている。対する3組のおじさんの声は響かない。



僕はここでもう一つ大きな気づきを得る。


それは、おじさんとおじさんの距離。




とても近い。




マジでとても近い。




闇の取引なんかなっても思うくらい妙に近い。



そしてボソボソ話している。


おばちゃんに比べると、心なしか元気がない気もする。


おばちゃんの立ち話が体力勝負なのに対して、


おじさんの立ち話は気力勝負な気もする。


気力だけで10分もよく話ができるなと思う。



僕の興味はさらにエスカレートする。



話している内容がとても気になってきた。







もうおそらくここまで読んだ人はお分かりだろうけど、





登場人物の中ではダントツでたにべえがやばい奴。しかしそれは今はどうでもいい。






人間の飽くなき探求心に従うのみである。





うーん。しかしまったくもって聞こえない。







「?」



もしも自治会や消防や地域のことについて話をしているのかもしれない。



もしかして…









こうやって互助共助の田舎の文化が守られているのかもしれない。








もしかしたら近所のおじいさんやおばあさんのことを気にかけて情報共有しているのかもしれない。





たしかに独居の高齢者の方がいる自治会ではそれぞれ住民同士で気にかけていたりする。






LINEとかじゃなくてこういうところで情報共有しているのか。





これが…これが田舎で見守られているということか…。


こういうお店での些細な会話が災害のときに役に立ったり、


有事の際にはすぐに協力できたりする要因になってるのかもな…。



そんなことに気付くと店内のおじさんたちが神々しく見えてきた。まぶしい。
(おばちゃんたちも)




そして、くだらない興味心を抱いた愚かな自分を恥じた。





しかしまぁ立ち話のおじさんは高齢者や地域を憂いていて



おばちゃんは子供たちの未来を憂いていて




とても素晴らしい街やん。素敵やん。






…そんなことを思っていた矢先、バスケの教え子に会った。




「たにべえさん!」



「おーお疲れー。てかもう就職したんけ。」



「そうなんすよーめっちゃ仕事大変す。」



「はっはっはっ。まぁお酒飲めるようになったら飲もうぜ。」




「うす!そういえば○○(別の教え子)とかも帰ってきてます!」



「マジか、○○って結局どこに進学したんけ?」














この若者もいつか『立ち話おじ』として地域を守っていくのかと思うと泣けてくる。







そして、紛れもなく教え子と話す僕は『立ち話おじ』のソレだった。



買い物カゴには何も入っていなかったが、入店してすでに30分が経過していた。







おわり。

【ライター紹介】
たにべえ。元転勤族。
2019年広島から雲南に移住。
田舎って変だなぁと思ったことを文章にしています。