はてさて、急に暖かくなったかと思いきや、3月下旬の週末にまた雪だ。私は何か悪事でも働いただろうか。神よ、地球よ、其方はなぜ私を懲らしめようとするのか。大地の怒りを鎮めるために、私はまた記事を納めよう。神の怒りを鎮めるため、取材協力に応じた狂った雲南市民は、何と市役所職員だ。定住企画員の金築莉那氏。通称りなぴーである。生まれは雲南市(旧三刀屋町)で、育ちは松江市のりなぴーはこともあろうに島根が大好きな様子。どんな思いで、この神々の住まう土地、島根県で暮らすのだろうか。
「周りの子たちよりも島根のことを知っているかも」
―今までの経歴を教えてくれますか。
りなぴー 生まれは雲南市ですが、小学校に上がる前に松江市に引っ越したので、青春時代の多くを過ごしたのは松江市です。父親の影響で、小さい頃から島根県内の各地域に遊びに行く機会に恵まれました。道の駅のスタンプラリーが楽しくて、「全部めぐりたい!」と意気込んでいたことをよく覚えています。小学生ながらに「周りの子たちよりも島根のことを知っているかも」と自負していたところも。こうした経験があって、島根という地に思い入れが強くて、ある種の固執をしていた部分もあったかもしれません。島根から出たくなくて、高校でも将来に活かせたらという思いで、観光が学べる学校を選びました。
―そうした幼少期から高校までの経験があり、その後どういった流れで今の定住企画員になったのでしょうか。
りなぴー 大きなきっかけは、大学生の時に地域おこし協力隊と出会ったことです。地域おこし協力隊の方々は、県外から島根に移住したいと思ってくれているということを知って。その出会いがあったことで、それまでは漠然と島根で働きたいと考えていたことが、「移住者支援」をしたいという方向性に具体化されました。
そんな思いを秘めながら、島根の情報をいち早くキャッチアップという点に目を引かれ、島根・鳥取のタウン情報誌を扱う企業に就職。とても良い経験をさせてもらった一方で、自分自身が「島根から出たことがない」「移住に関する実体験がない」ことにモヤモヤすることが増えたんです。そこで、愛知県の豊根村という人口1,000人を切った村に地域おこし協力隊として移住してみることにしました。豊根村での経験を経て、自分のルーツがある雲南市の移住支援専門員の仕事に巡り合い、今の活動をしています。
ギャップとの葛藤もあった定住企画員としての日々
―雲南市の定住企画員は何か特徴がありますか。
りなぴー ひとつ大きな点として挙げられるのは、雲南市の定住企画員は「専門スタッフ」として配置されていて、部署異動がないことです。市の職員と言われると、異動のイメージが強いと思いますが、私自身に異動はありません。変わらないことの重要性があると思っています。移住を検討される方にとって、移住は人生における大きな決断になるし、ケースによってはナイーブな部分もあり、相談が数年に及ぶこともある。そう考えたときに、担当が度々変わっていると相談される方も不安になると思うんです。信頼できる一人の人に相談ができるということはとても大きなことだと考えています。私自身は8年目になりますね。
―りなぴーご自身はどんな思いで移住者支援をしているのでしょうか。
りなぴー 愛知に移住した時に感じたことがあるんです。それまでは「移住するまでの支援」が重要だと思っていました。でも、それ以上に移住した後の声掛けやサポートがより重要であることに気が付いて。むしろ、移住するまでの支援はきっとどこだって手厚いなとも感じました。
―島根の外に出てみたからこそ見えた視点ですね。
りなぴー 豊根村から戻って、定住企画員になった当初は、「やっと夢が叶った」という思いが溢れていました。移住に対してキラキラしたイメージを持っていて。「雲南市が好きで移住したいんです!」という方に寄り添っていけると。でも、相談の中にはポジティブな内容だけではなくて、何らかのネガティブな思いを抱えて相談に来られる方も少なくありません。当初の思いとのギャップに葛藤した時期も正直に言えばあります。
ただ、7年やってきた現在では、どういう背景があっても「雲南市で暮らしたい」と考えてくれたり、選んでくれたりする方々の思いに応えられるようになりたいという一心で、日々の活動を続けています。
繋がりやゆるやかさを大切にしていきたい
―移住者が最近は増えてきていますが、定住企画員としてではなく雲南市民としてどう思いますか。
りなぴー 自分も大好きなこの雲南のことを、「雲南市が好きで」と語ってくれるのが純粋に嬉しいです。地域柄、おせっかいな人がこの雲南市には多いんですが(笑)。私自身も先輩市民として、「声かけちゃおっかな」とか「おせっかいしちゃおっかな」と虎視眈々と狙っています(笑)。
―今後、りなぴーが雲南市でやっていきたいことはどんなことですか。
りなぴー かしこまって、形式ばって「これやるぞ」ってことはあまりありません。ただ、移住者の方々は面白い人が多くて、刺激を受けることが本当に沢山あります。だから、ゆるやかに繋がりを持ち続けられたらいいなと思います。愛知に移住した間もない時、自分自身がとても寂しい思いをした経験があります。話をする相手がいること、人との繋がりができたことでその寂しさはすっと消えていきました。雲南市民として、大きなことはできなくても、繋がりやゆるやかさを大切にしていきたいと思っています。
―雲南市民として、どんな人にこの地を訪れてみてほしいでしょうか。
りなぴー 雲南市で何かやれという偉そうなことは言えません。でも、地方や自然豊かなこの地域で、「何かやってみたいな」という思いがある人にとっては、動きやすい環境はあると思っています。他の地域では「こういうことをやってみたい」という思いがあったときに、変化を拒む風習というのが、この日本にはまだまだあると思っています。そういう意味では、雲南市は変化への受容力がある。市としても、市民にも。
また、移住する場合は少なくとも、自分の暮らしを開拓していくマインドは重要だと思います。これは雲南市に限らず、どこの地域であっても。受け身だけで移住をすると、結果苦しむかもしれません。どこの地域に移住するにせよ、多少の気合いみたいなものは必要なんじゃないかなと思います。
【ライター紹介】
ぽんぽこ仮面。京都府与謝野町出身、9年間東京で過ごした後に雲南市へ。
お風呂すき。サウナすき。キャンプすき。
毎日わくわくした大人でいたい教育業界の人。