空き家を探す

2024年08月27日
たにべえ

6ねん



先日、

「ほっこり雲南を見てます!コラム楽しみにしてます!」と言っていただきました。


身バレを防ぐためにライター名でやってるはずなのに、身バレているのはセキュリティがガバガバな気がします…。


ちなみに面と向かって言われると



「あぁぁぁ……いゃいゃぁぁぁ…ありがとうございますぅ…。全然です…。」



ってなるのでやっぱり人間とのコミュニケーションってむずいなと思います。



今日のテーマは『必殺真面目シリーズ』から。






政令指定都市から人口3万5千人を下回る田舎である雲南に移住して6年経った僕が、


これまでの自分史を真面目に振り返りたいと思います。



あくまで自分から見た雲南という場所の印象だったり、



自分がその時思っていたことをツラツラと書いているだけなので


このコラムを読んで「なんてことを言うんだ!!」とかいうクソコメだけはしないでほしいということを最初に言っておきます。



6年住むと自分でも変わったなって思うことがあるので、これから移住する人や移住を考えている人の参考になれば幸いです。



(いつもの意味不明なコラムを期待していたみなさん、ごめんなさい。今日は『必殺真面目シリーズ』です。)








①1年目「チャレンジ最高、チャレンジすご、チャレンジわーい!」期



移住して1年目の春…僕は新しい仕事ができることにワクワクしていました。


日本一チャレンジにやさしいまちである雲南。



「チャレンジを積極的に応援するぜ!!みたいな場所で地域のために仕事できるなんてサイコー!!!」モード全開でした。



今の僕があの頃の僕を見たらきっとある、言いたいこと。(清水翔太『HOME』より。)



当時の僕は鼻息荒く「なんか新しいことしたるんや!!仕掛けをつくりまっせぇぇ!!へへい!!」みたいなテンションで地域に入り込み、大小問わず、新しいことにチャレンジするというだけでワクワクしていました。


今の僕を知っている方からすれば


「そんな姿想像できん!!だれ!!」


と思われるのは間違いないですが、


当時は新しいコトやヒトとの繋がりができるたびにテンション爆上げで、
「いつでもどこにでも行きます!!行かせてください!!!!」って感じだったのを鮮明に覚えています。
(呼ばれるイベントにはできる限り参加して顔売るぞ!みたいな。)


あの頃はあの頃でそれが楽しくて、雲南という場所が自分のこれまでの人生で出会ったことのない要素に出会わせてくれるワクワクできる場所だと思っていました。


今でも人生で2番目に長く住んでいるくらいには雲南のこと、島根のことが好きなのでその想いは変わっていませんが、
やっぱり良くも悪くも移住してすぐの僕から見た雲南という場所はキラキラしていて
「ワシも輝くんや!!」
という意気込みで肩に力が入っていたのは間違いないなと思います。


ただそういうエネルギーの使い方は僕には向いておらず、今思えば無理をしていたなと。


それでも「雲南を良くするんや!!」みたいな意気込みだけで走っていたのが1年目でした…。


なつい。
なんなら可愛げすらある。




ちなみに6年経過した今は死んだ魚みたいな目してます。



「たにべえさんってなんで移住したんですか!?」っていう質問が史上もっとも苦手な質問で、




毎回答えに困るので、ちょっとだけ話を盛ってちょっとずつ違う話をしています。

(嘘は言ってません。どれも本当の理由です!!!!)








②2年目~4年目「コロナやめてぇぇぇぇぇぇ」期



2年目から4年目にかけて、1年目に頑張った反動が来た…って感じでした。


シンプルに疲れてきたというのが正直なところです。誰のせいでもない自分のせい。


さらに地域で動くことに制限が生まれたのがコロナ禍。


仕事面では自分が新しく作ってきた仕掛けを「これからもっと進めていくぜ!!」みたいな段階でコロナを理由に軒並みイベントや事業中止の嵐。


あの頃は「マジでしゃあない。」ということしか言えませんでしたが、


仕事のモチベーション的なところではだいぶ落ち込んでいました。


コロナ禍は田舎暮らしのブラックな部分もだいぶ感じさせてもらいました。


「人の噂ってこわぁぁぁぁい!!!」ってなったし、


さすがに噂を気にする、気にしないというレベルではないほど、島根県内でも誹謗中傷はあったっぽいし(あの頃は全国的にそうでしたね…。)


ネット掲示板をチェックして「○○で○○が飲み会して感染したらしい。」みたいな情報だけを伝えてくる伝道師みたいな人もいたし、


とてもじゃないけど、こんなん都会なら特定されんし噂もせんくない?みたいなレベルの話まで結構隅々にわたり網羅されている、


という状況は普通に怖かったです。


「それ誰から聞いたん?」と聞いてもソースが明確なものはほとんどなく、
根も葉もない噂話が右から左に流れていく様は、僕に田舎の悪い部分を固めてドーン!!って見せられているみたいでした。(島根だけじゃないと思うけど。)


じゃあ僕が3~4年目にコロナ禍のせいだけで、いろいろなことにチャレンジする光属性を失っていったかというとそうでもなくて、


田舎に移住してのんびりもしたかったはずなのに
背伸びしてイベント行きまくって公私混同してまで頑張るのはやっぱしんどいかもかも…って思ったのも正直なところです。


やっぱプライベートでも好きなことしたい!仕事は仕事!!って思ったんでしょうね…。


周りを見渡せば今でもチャレンジを続けている人がたくさんいて、
その人たちのことを「マジですごい。」と思います。

自分にはできないと今でも思うし、

そうまでしてやり遂げたいことがない。という表現が適しているのかもしれません。



僕はそういう人たちを「応援する側」や「何も言わずただ見ている」方が向いている人間だと自分で改めて思いました。


そういう気持ちになってからは、コロナ禍を経て人間関係も変わっていきました。


これまで「移住した人」「チャレンジをしている人」との人間関係が多かったのに対し、
(こういう人たちとも全然関わりはあるけど)


島根に元々住んでいる人との交流がめっちゃ増えました。



これは仕事じゃなくて、完全にプライベートな時間を使ってこどもたちにバスケを教え始めたのがきっかけだと思います。



とくに子育て世帯の中学生や小学生を持つ少し年上の兄さん姉さんたちとの関わりが増えたのは大きいです。



同世代の友達は逆に少なくて、ちょっと上の世代の人たちとの関わりがめちゃくちゃ増えてかわいがってもらいました。



その人たちは、一番難しい“普通”でいることに向かって毎日一生懸命働いて、たまに飲んで、わーい!!ってやって、


僕がこれまで関わってきた「チャレンジしている人たち」もすごいけど、別にそういう人たちだけがすごいわけじゃなくて


普通の生活を守っていくために日々頑張っている人たちがたくさんいて、そういう人たちだってめっちゃすごいやん…という当たり前のことにコロナ禍で改めて気づかされた感じでした。そういう人たちと何かする方が自分には合ってるかも…とも思いました。





昔から島根に住んでいる人はやっぱり島根が好きで、何もないと言われる中でも日々を楽しんでいて、そういうことこそ大事やし、そういう環境で見つけた自分だけの「たのしみ」みたいなもんがめっちゃ大事なんや…これが実現したかった暮らしかもしれん…。



そういうものを見つける時間を作れるのが全国の地方であり、田舎であり、雲南だと思うようになりました。


(最初から実現したいことがある人も紆余屈折して何かにたどり着く、みたいなことはあるんじゃないかなと思います。)






③5年目~6年目「大事にしたいことを大事にしてます」期


今でも「日本一チャレンジにやさしいまち」でチャレンジをし続けるプレイヤーのみなさんのことを応援しているし、


どんどんそういう新しい人が出てくる雲南ってすげぇぇ!!って思います。それは間違いなく雲南の良いところです。


ただ、僕のことだけでいうと、6年住んで自分だけの「たのしみ」を楽しむ時間こそがもっとも大事にしたいことになりました。



ほんとにこの「生きがい」とか「たのしみ」に大きいも小さいもないと思うんです。



毎日の晩酌でもいいし、


日々の子育てとか


こどもの応援とか


家でネトフリ見るとか


自分で育てる野菜の成長とか





なんでもいいと思います。



なんなら「それって都会でもできるやん。」みたいなことでもいいです。






でも、雲南に住みたいし、雲南で過ごす毎日が嫌いじゃない。






こういう気持ちこそ、僕が6年住んだ雲南という地域に持てた「愛着」というものなんだと思います。






だからこそ、これから雲南に移住を検討されている方へお伝えしたいのは




肩に力を入れて移住してチャレンジするのもありだし






やりたいことを緩やかに探す場所にするのもありだし、





やってみたかったことを実現するために来てみるのもありだし、






そんな「自由」な場所、あなたの「好き」を受け入れて緩やかに過ごせる場所が雲南です。






そして僕は6年間でたくさんの“人”と関わりを持ちました。



めっちゃぶつかり合った人もいるし、今は全然連絡を取らなくなった人も正直います。







それでも、移住して僕に関わってもらったすべての方には感謝の気持ちしかありません。




今では、1年目に行きまくっていたイベントも、
行きたいと思ったら行くけど、そうじゃなかったら行きません。

それはプライベートを死守しようと思ったからです。
(こんなスタンスでほんまにええんやろか。とたまに思うけど)



地域との関わりや貢献は、自分の好きなバスケットで十分にできていると思うし
まったく地域との関わりを持っていないわけでもありません。



自治会活動だって経験したし、何もわからん土地で色んな役もやりました。


田舎の暮らしは人との関わりで成り立っているし、
行事で忙しい週末になることもたくさんあることを教わりました。


そういう経験をさせてくださったみなさん。






本当にありがとうございました!!
※ライターと市民を同時に卒業するみたいになってますが、どっちも辞めません。







④最後に 僕が雲南で見つけた「好き」




最後に僕の好きなもの、雲南で見つけたかえがえのない「たのしみ」、そして「生きがい」を紹介しておこうと思います。






僕はこの「生きがい」を大切にして、これからの雲南での暮らしを全力で楽しもうと思います。












その「生きがい」は
































『ハロー!プロジェクト』です!!!!!




















































僕が田舎に6年住んで見つけた「生きがい」が








『ハロプロ』です。

























これからみなさんには「ハロオタ」としての生態を見守ってほしいと思います。























僕は雲南という地から、頑張る彼女たちに全力でエールを送ります。














それが僕の新たなチャレンジです。





















僕の素性を知っている方たちへ。











もし僕を見かけることがあれば














「コラム楽しみにしてます!!」とかじゃなくて


















『ハロプロ』の話をしてもらってもいいですか。























必殺真面目シリーズ










おわり





【ライター紹介】
たにべえ。元転勤族。
2019年広島から雲南に移住。
田舎って変だなぁと思ったことを主に書いています。