空き家を探す

2024年09月25日
たにべえ

fashion






「ファッションは自由である。いつどこで何を着ようともその人の自由である。」




オシャレが昔から好きである。


今でこそ、職場と家と体育館を行き来するだけの毎日なので、ほぼ仕事着か練習着で過ごすことが多いが、


基本的にオシャレが好きな人間である。


どのくらい好きかというと、新卒でアパレル会社に入社。


仕事として選んだという過去があるくらいにはオシャレが好きである。



僕が勤めていた会社では靴下のブランドや下着のブランドまで隅々に諸先輩方の目が光っていたので、


結構息苦しくもあったのだが、まぁそれはそれで“プロ意識”ということにしておく。



現代では高いものでなくともオシャレを誰でも気軽に楽しめるし、



SNSを見れば「これが正解!!」みたいなスタイリングがたくさん紹介されているので、


昔にくらべてオシャレのスタンダードレベルが日本全体として向上していることは言うまでもない。


僕が小学生のころは「お母さんが近くのショッピングセンターの2階で買ってきたコーデ」、


通称「オカンコーデ」の小学生や中学生がたくさんいて、


ブランドでいうと『BAD BOY』とか『PIKO』とかそのあたりのブランドを着ている人がたくさんいた。あと『GAP』。


ダサい、ダサくないという話ではなく、


あのころはやっぱり「オカン」という存在が小中学生のファッションを牽引していたことは言うまでもない。



それから20年、ファストファッションもめちゃくちゃオシャレになり、トレンドを取り入れたアイテムが格安で手に入るようになった。



国民の「オカン」はもはや『GU』や『ユニクロ』が取って代わったといっても過言ではない。


ファッション界には今や「オカン」の影なく、あの頃のファッションに懐かしさすら覚える。




そんな平成中期に青春時代を過ごした僕のファッション遍歴は「迷走」との戦いだった。


オカンコーデで小中学生時代を過ごした少年が高校生になってオシャレに目覚める。


ただ、オシャレの世界はそんなに甘い世界ではない。今みたいにインスタもないしTiKTOKもないので


雑誌を読み漁り、その中で「成功」と「失敗」を何度も経験して鍛錬した。


『カジカジ』とか『チョキチョキ』とか当時はアホほど読んだ。『Men's egg』を読んでた時期もあったわ。外ハネM字バングよ。ギャル男。ウルフ。なつい。(メンエグって今はもうないですか?『egg』はWEBで復活した…?)


今思えば「なんで流行ってたん?」というアイテムも多々ある。


例えば「めくったらチェック柄」のシャツとかパンツ。


あれはどういうシステムだったのだろう。あとなんか「レイヤードしてますよ風」のカットソーとか。2枚重ね着に見せかけて1枚に繋がっとるやつ。


あれも誰が思いついたのか。


そんな時代に僕はオシャレにもがいていた。


誰かに「ダサいよねー。」と言われようとも、懸命に学び、少ない小遣いで最大限にオシャレを楽しんだ。


アリスガーデンで人間観察とファッションチェックに時間を費やした日々も懐かしい。
(※アリスガーデンは広島の名所です。ググってください。)


正解か失敗かわからない中で、ショップのスタッフさんと仲良くなっていろいろな着こなしを教えてもらい、成長していく。
(当時、金のない学生を相手にしてくれた全スタッフさんに感謝とリスペクトしかないです。)


そう。そういう時代が間違いなくあったのである。


今思えば、こういう試行錯誤の過程こそ、オシャレの醍醐味やと思うし今後もそこの部分は変わっていってほしくない。


「正解」が簡単に見れる時代だからこそ、やっぱり自分だけの組み合わせを「考える」時間を楽しみたいのだ。




しかし、今日はそんなオシャレ談義をしたいのではない。



今日のテーマは田舎での“オシャレ”についてである。


「服なんて好きなもん着ればいい!誰も気にしてないよ!」という意見があるのはわかる。大いにわかる。


ただそんなことを言われたって、地球に生きる全皆さんの服装が気になってしまう星のもとに生まれた人間もおるのだ。



前述のとおり、オシャレの「正解」が簡単に手に入る時代になった。


昔のように田舎の子が「芋っぽい」という時代はすでに終焉を迎えている。


高齢化が進む雲南市でも街を歩いている若者はそれなりに「オシャレ」である。


そう、田舎“なのに”、オシャレが歩いているのである。


「別に良くない…?」


と思われた方はブラウザバックを推奨する。


ここから先を読み進めればもしかしたら不快に感じる方もいるかもしれないからである。





それでも読みたいという方は、ぜひ田舎のファッション事情について一緒に考えてほしい。








こんなことを言ったら多方からお叱りを受けるかもしれないことを覚悟して言うが、




「めっちゃオシャレ」が「田舎」と相性悪くない?という話である。






軽いオシャレならまだわかる。




めっちゃ軽いやつ。着こなしている感じのやつ。



サラッとオシャレ。これ、ニュアンスでわかります?




でも、


バッチバチにキメキメのオシャレ、これについてみんなで考えたい。




想像してみてほしい。



田んぼ、山、青空、そんな日本の原風景の中をバチクソに決め込んだオシャレな人がキメッキメで歩いている、そんな場面を。




そもそも「街の顔」というものがある。


オシャレにはTPOというものがあるのだ。


「田舎」というプレイスでそんな決め込んだオシャレしたら浮くのは当たり前ではないだろうか。


フォーマルな場所にサンダルで来ちゃった、みたいなことである。



皆さんはそんな人を見たことがないかもしれないが、実際には存在する。


TPOより自己表現が優先された世界線…。


その世界線から迷い込んだかの如く、田舎にも突如として現れるのである。過度なオシャレをされた方が。


このオシャレは今日、雲南市という中山間地域に来ることを想定して決め込まれたものなのか、


それともめっちゃオシャレな場所に行った後に、たまたま立ち寄った不可抗力的なものなのかはわからない。


ただ僕が思うのは「田舎でそんなオシャレいる?」ということ、ただそれだけである。



もし、これを読んでいるあなたがそうであったとしても、僕は決して態度には出さない。安心してほしい。





そもそもルッキズムとか叫ばれてる現代において、他人のファッションに口出しするなんてご法度である。


それに、僕も自慢できるほどのオシャレさんではない。

前述のとおり「オカンコーデ」がファッションの入り口であったような人間である。




しかし思わずにはいられないのだ。



どうしてもそう思ってしまう。ということだけは許してほしい。


そして今一度、田舎でのオシャレの必要性について考えてほしいのだ…。
















という話を同僚にした。


同僚はその日を境に出かける前、


「今日はたにべえに会わないだろうか。オシャレ過ぎてはいないだろうか。」と思うようになったらしい。



本当に申し訳ないが良いことだ。



また一人、TPOを考えてオシャレをしてくれる人が増えた。



皆さんには申し訳ないが自分のオシャレが、今日訪れる場所に相応しいかどうか考えてほしい。


そして、それがわからなかったら「雲南市 ファッション」とかでググってほしい。



多分、このコラムが出てきて冷静になれるはず。





最後に。



もう一度皆さんへこの言葉を。









「ファッションは自由である。いつどこで何を着ようとも、その人の自由である。」












※言うまでもないですが、マジで個人のクソみたいな主観の話なので好きなもの着てください。







おわり


【ライター紹介】
たにべえ。元転勤族。
2019年広島から雲南に移住。
田舎って変だなぁと思ったことを文章にしています。