空き家を探す

2024年05月02日
りなぴ

女子単身移住 -後編-





さて、前編では愛知の人口1000人の村へ移住するまでの経緯をお話しましたが、後編は移住後どのように生活を築いていったか、何を困難と感じ、どう乗り越えていったか、その経験を綴っていきます。
(全部話すとかなり長くなるので、めっちゃ端折ります。。)

 
↑村の星空とたまたま写った飛行機。未だに村の星空を超えるものは見たことない。日本一綺麗だと思っている。



移住直前の心境としては、ワクワクが2割、不安が8割。
自分でも意外でしたが、不安で押しつぶされそうな気持ちでした。
島根を離れること、周りに知り合いが全くいない環境へ飛び込むこと…全てが初めての経験で。



移住当日。車1台で村に到着。

迎えてくれたのは、ダム湖周辺に咲くたくさんの桜の木。
薄すぎず、濃ゆすぎない、ちょうどいいピンクが不安だらけのわたしの心を落ち着かせてくれたのを覚えています。

地域おこし協力隊就任前日でしたが、夜には村の先輩移住者たちに誘われて一緒にご飯を食べるなど、早速歓迎してもらいました。
ダム湖の桜とこの日の夜のご飯でかなり不安が取り除かれました。

そんなこんなで初日で知り合いも何人か増え、地域おこし協力隊就任当日もスムーズにスタートが切れました。



が、思っていたより早く、移住者フィーバータイムは去ってしまった。



最初の頃は地域おこし協力隊として注目を受けていた気がしましたが、だんだん興味関心は薄れていっているような…。構ってくれる人がいなくなった、という感覚です。

今考えるとそれは当たり前のことで、わたしはただ県外から仕事をしに引っ越してきた人間なだけです。
もっと言えば、地域おこし協力隊として村から与えられたミッションに取り組み、村のために活動していかないといけない人間は、いつまでもチヤホヤしてもらって歓迎されている場合でもないのです。もう自分で自分の生活を切り開いていかないといけないのです。
住民からすると「よく来てくれたね」から「じゃあ頑張って働いてね」と気持ちが切り替わるのはごく普通のことです。
それに、長年地域おこし協力隊を受け入れてきた村なので、県外の人が移住してくることは慣れているようでした。

わたしが“移住者”であることに期待しすぎていたんだと思います。
チヤホヤしてもらって、構ってもらって、いつの間にか輪の中に入っていけると簡単に考えていました。
でも人間関係を構築していくには、もちろん自分の努力が必要です。



移住者フィーバータイムが去ってしまった当時のわたしはかなり孤独を感じていて、ホームシック…というか、とにかく友達に会いたい!という気持ちになりました。

ただ、1人の時間は冷静になって考えることができる時間でもありました。

自分にとって今求めているのはおしゃべりする相手、一緒にご飯を食べてくれる人、休日に遊んでくれる人。イコール友達。
友達は島根だけじゃなく、村でも作ることはできる。でも受け身体制では友達は作れない。

そこでひとつの答えが出ました。

「友達を作ろう!そのために地域活動へ積極的に参加してみよう!」



ということで、移住して2週間後、住んでいる地域の桜祭りのお手伝いをすることになりました。
運営は同じ地域の若い人たちで作る青年会で、この人たちと関われば楽しくなるかも!と密かに思っていました。

といっても顔も名前もわからない人だらけ。
あたふたしながらも、何か手伝えることを探して必死に作業する。
「次何したらいいですか!?」以外の会話ができる心の余裕もない。

ずっとあたふたしていたら、お客さんとして参加されている地域の方に声をかけられました。
「ビール注いでくれる?」

ビールサーバーの近くに行くと、他のスタッフがうまく注げずに困っている様子。
「わたし、代わります!ビール注ぐの得意なんです!」
ここだ!わたしの役割!と、祭りのスタッフとしてのベスポジ見つけちゃったもんだから、思わず大きな声で宣言しちゃいました。

いざビールを注ごう!とすると、周りにいたスタッフが「本当か?」と疑心暗鬼でわたしの手元を見つめる。

注がれるビール。良きところまで注いだら泡だけを注入。最後に頼るのは表面張力。
黄金比の完成。

「おぉ〜!」という歓声。
学生時代のバイト経験のおかげでビールサーバーから美味しそうな生ビールを注ぐことが特技になりましたが、まさかその特技がここで活かされるとは思いませんでした。

そこから青年会のスタッフたちとの話が弾む。
「なんであんなに美味しそうにビール注げるの?」
「島根ってどんなところ?」
「え!野球好きなの?草野球チーム入ってよ!」
「お酒も飲めるタイプなんだ。どんどん飲んでよ。」

みんなの中で“遠くから来た移住者”から“島根から移住したりなぴ”になった瞬間でした。



桜祭り終了後、片付けも手伝っていると、青年会の直会に誘われました。
カラオケで盛り上がり、みんなで楽しい時間を過ごせました。

その時、1人の青年会メンバーが手招きをするので近くへ行ってみると、その日の桜祭りで青年会メンバーが全員着用していたお揃いの法被を渡されました。
「これからよろしく。一緒にここの地域を盛り上げよう!」と。
心が躍った瞬間でした。自分が望んでいた友達や仲間はここで作れたと、今でも自信を持って言えます。

移住2週間後に起きた桜祭りでのこの出来事は、自分の移住生活において最も重要な1日でした。

ちなみにその法被は、村を離れる前に青年会メンバーが開いてくれた送別会で「法被も島根に持って行って、また村に来る時に持ってきなさい」と言ってくれて、今は雲南で大切に保管されています。
村へ遊びに行く時、イベントごとがあれば持っていって着用しています。



ここからわたしの「友達を作ろう大作戦」は大きく動いていきました。
(ここから巻きます)

青年会にいた唯一の女子がたまたま同い年で、仲良くなって夜ご飯を一緒に食べたり旅行したり。
消防団の直会にも呼んでもらって、みんなで焼肉をしたり。
歳が近い4人組で飲みに出かけたり旅行をしたり。
草野球チームに入って、マネージャーとして活躍したり。
人手が足りないイベントのヘルパーとして参加したり。
村の伝統的な祭りに参加させてもらったり。
順番的に自治会長になってしまった時も、周りの人がたくさん助けてくれたり。
やりたいことができた時、仕事がうまく進まない時、たくさんの仲間がアドバイスくれたり。

自分の中でひとつ定まったこと、それは「誘われたら基本行く!やる!フッ軽(フットワーク軽く)で!」。
たくさん顔を出すことで「わたし」という人間を知ってもらえる。
よそから来たよくわからない若者ではなく、村で暮らす1人の「りなぴ」として扱ってもらえる。



あくまで個人的な感想ですが、人付き合いを受け身ではなく自分から積極的にすることや、地域活動に積極的に参加することは、移住生活をより楽しく、彩りあるものにしてくれました。
一生懸命取り組むと、手伝ってくれたり無理のないよう配慮をしてくれたりします。だからわたしも苦に感じることなく楽しく地域活動が行えました。
人付き合いや地域活動で繋がった人脈が「あ、わたしここで暮らしていける」と思えた1番の理由です。



以上、わたしの移住直前〜移住後のお話をめちゃくちゃ巻きでお送りしました。


 
↑草野球のマネージャー楽しかった。終わった後の直会もサイコーだった!



今回はわたしが感じた移住後の困難の乗り越え方や地域との関係づくりのポイントをおさらいします。

①自分が苦にならない程度の人付き合い・地域付き合いを
移住において、特に単身での移住において、まず訪れてくるのは孤独です。
もちろん「寂しくないよ」というタイプもいると思います。そのタイプの方には無理におすすめはしませんが、寂しさを感じるタイプの方には積極的に人付き合い・地域付き合いを行ってほしいです。
自治会活動とか「めんどくさいな」ってつい思っちゃいますが、参加してみると「ここの地域の住民なんだな」という気持ちが芽生えるし、何より地域の方が「頑張ってるね」「嬉しいよ」と声をかけてくれます。
そして色々と顔を出していると「あの子は頑張っているから応援してあげよう」「手伝ってあげよう」「色々やりすぎてない?」などと配慮をしてもらえるようになるので、不思議なことに参加することで逆に暮らしが楽になっていくことが多かったです!
わたしの場合は友達や仲間がたくさんできて、遊びに地域活動に…とプライベートが充実すると、仕事が少しうまくいかなくっても乗り越えることができました。
悩んだりクヨクヨすることが少なくなりました。話す相手ができたから、ということも大きいです。
ちなみにわたしは「誘われたもの全部行く!やる!」をモットーにしていましたが、これはおすすめはしません。
誘われたもの全部は流石にしんどいです。心がしんどい時は1人でゆっくりする時間も必要です。ポイントは「自分が苦にならない程度」というところです。

②好きな場所を作る
好きな場所を作るって簡単のようなことだけど結構忘れがち(というか意識しない?)なので、あえてポイントとして挙げてみました。
わたしも村の中で大好きな場所が何ヶ所かあります。
悔しいことや悲しいことがあった時、友達や仲間にも救われますが、村の景色にもたくさん救われてきました。
大好きな場所が村の中にあるので、いつどんな時でも気軽に行けることもポイントです。(村外だと遠いし移動がストレス…)
ちなみに、好きな場所へ行くときは1人で行くことが多いです。
思いっきり愚痴言うもいいし、おいしいご飯や好きな飲み物を飲食するでもいいし、ゆっくりと深呼吸するもいいし、何もしない・考えないでぼーっとしてみるもいい。
景色を眺めているだけでパワーチャージできますよ。
自分だけのパワースポットを作ることって結構大事だと思いました。

③呼びやすいあだ名と自己プロデュース力
これは結果論ですが、地域の人と関係を作っていく上で呼びやすいあだ名があるってめっちゃ大事だなって。
わたしは学生時代からずっと「りなぴ」と呼ばれていますが、このあだ名が村でとても浸透しました!
全く意識していませんでしたが、もしあだ名がなければ親しみを込めて名前を呼ばれることがなかったかもしれません。ちょっとよそよそしくなっていたかも…。
移住先であだ名で呼んでもらうようにするとギュッと距離が縮まると思いますよ!
あだ名恥ずかしい勢がいることももちろん理解しています。これはあくまで裏ワザ的ポイントなので、無理にあだ名を意識する必要はないですよ。
そしてあだ名に通ずるところもありますが、自己プロデュース力が大事だと感じました。(これも結果論)
桜祭りで注目を浴び、仲間を作ることに成功できた背景には、自分で自分の特技「おいしいビールを注げる」というのを理解していたからです。
自分の解像度が高いと、地域の人たちからの興味関心に引っかかりそうなものをこちらから提示することができます。
自分の場合だと、「野球が好き」と伝えたら草野球に誘われました。
特技や趣味、好きなもの、好きな食べ物、推しメン…なんでもいいと思います。
自分自身を知り、地域に向けて発信することをわたしは「自己プロデュース」と呼びます。
自己プロデュースというと大袈裟ですが、自分の移住経験を振り返ったときに大切だと感じたので、あえて大袈裟に言わせてもらいます。
 
↑村でハマってしまった伝統的な祭り。1日中舞い続けます。雲南に孫ターン後も祭りのシーズンは村へ行っています。



〜女子単身移住 総括〜

わたしの単身移住ストーリーの中で1番困難に感じたことは「孤独」でした。
もちろん移住後に感じたギャップ(寒すぎる、動物が多すぎる、飲食店が遠すぎる、ガソリン代がかかる、病院がない、コンビニがない、農業の指導者がいなくなった、ゴミの分別が大変などなど…)は山ほどありますが、そのギャップ以上に不安に感じたのは「孤独」でした。

「孤独」が解消されると、感じていたギャップもどうでも良くなっちゃうくらい移住生活が充実したものになりました。
もしかしたらこの「充実」という部分が重要で、移住生活が充実するとスムーズな暮らしができるんじゃないかな、と思います。
わたしにとっての充実ポイントは「人との関わり」だったようですが、皆さんにとっての充実ポイントはもしかしたら違うかもしれません。
と、前編・後編を書いていく中で自分の中でまとまってきました。

今回のコラム前編・後編合わせてお話したことはあくまで一例と考えてもらって、自分の中の移住先での充実ポイントを見つけてほしいです。




【ライター紹介】
りなぴ。うんなん暮らし推進課 定住企画員。
松江市出身、愛知県での修行を経て雲南市へ孫ターン。
148cmの身長からは想像できないが、狩猟免許を所持するハンター。