空き家を探す

2024年04月08日
たにべえ

​MMJ




皆さんは『MMJ48』というグループを知っているだろうか。


かつて一世を風靡した『AKB48』をパクリ散らかした広島のローカルアイドルグループであり、


僕とMMJの出会いは広島のライブハウスだった。


当時、AKB48の大ファンだった僕は服好きの友達に誘われたイベントに参加していた。


そのイベントにはエスパー伊藤が来ていて、実際に見る人間風船は圧巻、迫力すらあったと記憶している。


エスパー伊藤の出番が一番盛り上がったのは間違いなく、


「うわ~芸能人だぁ」くらいには感動を覚えていた大学2年の僕の目の前にMMJは現れた。


そもそも友達に誘われたイベントで、とくに詳細も聞いていなかったので、


MMJが登場したとき、見た目がそもそもAKBだったのですぐにわかった。


パクリとわかっていても僕の足はすでに会場の最前線に動き始めていた。


そこでかかるのはもちろんあの伝説的名曲『会いたかった』である。


盛り上がった。このうえなく盛り上がった。


一曲で終わりかーと思っていたらもう一曲、『大声ダイヤモンド』でぶち上がった。


その日からMMJの薄いファンになった。


フラワーフェスティバルという広島で5月に催されるそこそこ大きなお祭りのステージに

MMJが出演すると聞いたら、バイトを休んで観に行くくらいには薄いファンになった。


メンバーの名前こそ憶えていないし、そうはいっても本家のAKBが大好きだったので、


あくまでMMJはサブ的な要素以上になることはなかった。


それが大学2年の夏。



それから10年後。僕は雲南市に移住した。





職場の同僚が広島に長く住んでいたこともあり、


広島のことを話しているうちにある事実にたどり着いた。




あのMMJにはプロデューサーがいて、


なんなら同僚はプロデューサーと一緒にMMJ側のスタッフとして活動していた。


そんなニッチなことあるんか。と思った。


10年越しの伏線回収。


MMJなど、という言い方をしては失礼かもしれないが、


広島の人間でもそう認知しているものではない。


『まなみのり』とか『さいねい龍二』の方が有名かもしれない。


そのMMJの裏方を担当してた人が今、目の前の席に座っている。


僕は島根県が“ご縁の国”と言われていることをこの時までまったく持って信じていなかった。



しかし、こんな奇跡はおそらく島根でないと起きない。


ローカルすぎるパクリアイドルの薄いファンだった僕と、


そのパクリアイドルの裏方をなんの縁なのか担当していた同僚、


もうドラマである。



運命的なことを、島根で感じている人は少なくない。



よい出会いをきっかけに、移住までされる方も少なくはない。



そのくらい“ご縁の国”には信憑性があるのも間違いないのだろう。



しかしどうでしょう。



出会いなんて正直ね、全国どこの地方でもあるっちゃあるし、


そもそもアンテナを張っていればそういう出会いたい層の人たちと意気投合することって


アグレッシブであればあるほど起きるじゃないですか。



でも多分、ローカルアイドルの共通点を持っていて、


しかもファンとスタッフってなかなかないんじゃないかなっていうのと、



今の自分の人生には一ミリも役に立たない“ご縁”こそが、



マジの“ご縁”なのではないか。



『MMJ』がもたらした奇跡。



10年越しの奇跡。




ちなみにMMJは




『もみじ饅頭』の頭文字です。




『もみじ饅頭48』。





もう解散しちゃったけど、僕の記憶には永遠に。




おわり







【ライター紹介】
たにべえ。平成生まれ平成育ち。
2019年春~広島→雲南。
お酒大好き。3児の父。週7バスケのバスケバカ。