私、ぽんぽこ仮面は風呂を好んでいる。
風呂は大変にいいものだ。
日々鞭打たれた身体を包み込み、労いの時間を与えてくれる。
風呂だからこそ聞こえる会話。
風呂だからこそ見える人々の表情。
私は、まちの日常の中に生きる風呂が好きなのだ。
京都の白山湯六条店で銭湯と出会い、
東京は沼袋の一の湯で銭湯の虜となった。
風呂のために各地を巡り、
風呂で各地の人とまちが生きていることを感じてきた。
そんな私の島根移住を唯一拒もうとしたのも銭湯。
島根県は銭湯の数が47都道府県中なんと45位という。
絶望した。
心の底から移住をやめようかと考えた。
私にとって、それくらい重要なランキングだった。
しかし日帰り温泉施設の数は9位。
この中にも、きっと私好みの“日常の中に生きる風呂”もあろう。
そう信じ移住した。
出雲国風土記(733年)に、
「須我の小川の湯淵の村の川中に温泉あり」
と記された雲南市大東町の海潮温泉。
ここに『桂荘』はある。
大東のまちなかから数分車を走らせたところだ。
大きな内風呂がひとつとドライサウナのみ。
シンプルなつくりだ。
耳を澄ませば、湯が流れ入る音。
眼前を包み込むは湯から柔らかくあがる湯気。
そして、聞こえてくる人の会話。
「おお、今日は早いね」
「おお、どうも、お先」
「お疲れさん」
「最近、見んかったね」
「ちょっと、足の手術しててね」
「もうタイヤ替えたか」
「まだだ」
「俺が替えてあげるよ、来週土曜でいいか」
ここにしかないコミュニケーション。
ここで行われる生存確認。
ここにもあった、日常が生きる風呂。
観光地のような“非日常”の温泉施設ではなく、
雲南のまちが生きる“日常”の素敵な風呂、桂荘。
私は高らかにこう述べる。
「元気なまちには、良き風呂コミュニティあり」
ただの自論である。
論も証拠もなにもない。
これを机上にも上らない空論とも言う。
心身共にポカポカ至極。
雲南の風呂では、風呂上がりに待ち構えるものがいるのを忘れてはいけない。
木次乳業のコーヒー牛乳だ。
「君たちの風呂上がりを待っていたよ。さあ、私を買え。」
と、手招いてくる。
心身に染み渡る風呂上がりのコーヒー牛乳。
最高の風呂のあとに待つ天国。
これほどの贅沢がほかにあろうか。
否、なかなか見つからんであろう。
やみつき間違いなしだ。
ここが300円だというのだから、驚きの波が移住者を襲う。
東京は銭湯料金が500円、サウナもつければ1,000円にもなる。
懐事情が寂し気な私にとっては、大変にありがたい。
しかし、諸君、気を付けてほしい。
シャワーの水圧に大幅な差がある。
相性良きシャワーとの出会いがあることを。
【ライター紹介】
ぽんぽこ仮面。京都府与謝野町出身、9年間東京で過ごした後に雲南市へ。
お風呂すき。サウナすき。キャンプすき。
毎日わくわくした大人でいたい教育業界の人。