―2022年の春。
私、ぽんぽこ仮面は人生の岐路に立たされていた。
長らく教育業界に身を置いていた私は、島根県に拠点を置く「教育×地域」を軸にした団体への移籍を目論み、そして頭を抱え込みながら悩んでいた。
京都府の丹後地方は与謝野町でひょっこり生まれすくすくと育ち、立派に反抗期を迎え、三重県の大学で4年間の猶予期間を御都合主義的トンチンカン話に花を咲かせながら全うした。
そんな私が、あろうことか教育の業界に身を置くことになる。
あれよあれよという間に東京で9年を過ごした。そろそろ、新しい挑戦がしたいと、沸々ブクブクと意欲が湧き上がっていた。
そんな時に声がかかった(かけて頂いた)。
島根県の団体が、本気で日本の教育を変え、地域を元気づけようとしていた。
これは行かねばならぬと、鈍感な私でも直感的に確信した。
団体の髭の生えた偉い人が「島根、来てくれるよね?」と私に問うた。
私は「住まいさえ条件に見合うものがあれば、是非」と答えていた。
行ったこともない島根県へ移住すること、決意表明した瞬間であった。
しかし、この“住まいの条件”が厄介なものであった。
条件①:松江市の転職先へ通勤可能な範囲であること
条件②:グランドピアノが設置・演奏できること
条件③:猫との同居が認められること
条件②と③、東京ならばそこそこぼちぼち物件はある。1件くらいは松江にもあるだろう。そう思っていた。
しかしどうだろう、見事に1件もないのだ。
多くの賃貸不動産会社の方に、それはもう丁重にお断りされ続けた。甘く見ていた。激甘だったのだ。
―ここは東京ではない…。
条件が成されなければ、どんなにスバラシイお仕事であっても、行くことはできない。
移住・転職は諦めねばなるまいか。なるまいだろうなあ。
私は絶望の淵に立たされていた。
いや、片足は絶望の底に突っ込んでいたことだろう。
そんな時。
最後の望みをかけて、移住定住オンラインイベントに参戦した。
雲南市との出会いの場であった。
恐る恐る個別相談に。
元気なお姉さんとお兄さんがいた。
雲子ちゃんもいた。
お姉さんがポツリ。
「空き家バンクの物件であれば、費用も抑えて、条件に見合う物件が紹介できるかもしれません!」
こんなことを言うではないか。
“家を買う”という選択。
言われるまで毛頭もなかった。
これっぽちもだ。
―ああ、そういう選択肢もあるのか。
懐事情がもの寂しげである私でも、これはありなのかもしれんな。
気が付いたら雲南市に出向いていた。
空き家バンクで気になった家を見るため。
雲南市の人に会うため。
雲南の町を感じるため。
初めての雲南市。
目の前に広がる雲南市大東町下久野の光景。
住まうには十分すぎるくらい状態の良い一軒家。庭。畑。
豊かすぎる自然。緑。川。
親切な人。
ほんのり緩やかな時間。
―ここしかない。
その場でほぼ即決だった。
最初は仕事のための移住、条件さえ合うならばどこでもいい。そう思っていた。
しかしどうだろうか、気が付いたら、ここに住んだら面白そうじゃないか、ここに住んでみたい、そう思っている私がいた。
松江までの車通勤40分も、東京で1時間以上かけて通勤していたことを考えればなんて事はない。
フンフンと鼻歌を歌っていればすぐだ。多分。
こうして、いよいよ住まいが決まった。
「住まいが見つかりました。改めて、島根でのこの仕事に挑戦させて下さい。」
そう、転職先へ連絡した。
島根の話が来たのが2022年3月。
住まいが決まったのが7月。
そして移住したのが10月。
協力してくれた雲南市の方、待ってくれた職場の方、家族、猫、みんなに感謝だ。
そして今。
それはもう、言うまでもなく雲南市民を満喫中である。
雪にうずもれながら何とか越冬し、初めての雲南での春。
木次の桜の下で、“生”を感じる時間を心待ちにしているところだ。
―
オンラインイベントの際、話を聞きたかったのは、雲南市でなかった。
しかし、個別相談のブースの空きがあったのが雲南市。
やむを得ず参加したのだが、これまた運命だったのだろう。
運命というものがあるのならば、きっとこれに違いない。
【ライター紹介】
ぽんぽこ仮面。京都府与謝野町出身、9年間東京で過ごした後に雲南市へ。
お風呂すき。サウナすき。キャンプすき。
毎日わくわくした大人でいたい教育業界の人。