空き家を探す

2024年04月23日
たにべえ

押しボタン式


3つ先の交差点の押しボタン式信号機のことがあまり好きではない。
新入社員研修で一緒だった時はとても初々しかったアイツも、今となっては「全然押されへんなぁお前。」という感じで点滅信号を送ってくる。
やかましい。チカチカすな。近所迷惑やろ!お前もたまたま配置場所が良かっただけや。と思う。
そんなアイツすら国道の信号機たちからは馬鹿にされている。
「俺らは夜10時以降の点滅やから。」とマウントを取られたそうだ。
いずれにしても24時間セカセカと点滅している都市部の信号機に比べれば、我々は地方に追いやられた“厄介者”であることに変わりはない。

最初に島根県雲南市への配属を聞かされたときは驚いた。信号機としてうまれた僕は当然3色の明かりを灯すことができる。
地方の信号機も悪くないな、と思っていたが雲南市のとある交差点に設置され驚いた。『押しボタン式』担当だったからだ。
こんな悲しいことはない。母がお腹を痛めて3色満足に産んでくれたにも関わらず、その光のうち2つをほぼ使うことのない信号機生活を送ることになるとは思ってもいなかった。
入社当初から僕はそんな事実が受け入れられず実家に連絡する頻度は減った。

僕の父は厳格な『時差式信号機』の家系だ。「ワンフォアオール・オールフォアワン」は我が家の家訓である。

「『歩行者用信号機』さん方とのチームビルディングは非常に難しい。しかし『時差式信号機』にしか成せないという誇りを持って任務にあたる。」

この言葉は、一代で時差式信号機を世間に広めた祖父の名言として今も信号機界で語り継がれている。
僕はそんな自分の家系を誇りに思っていた。幼少期から時差式信号機としてのメンタリティも叩き込まれた。
いずれは自分も祖父や父のようになるものだと当然のように思っていた。
「ジュニア君はどんな信号機になりたいの?」と周りの大人から聞かれるたび「時差式!!」と答えた。

そんな父に地方の押しボタン式担当になったことを告げると、赤を3回光らせたあと一度ライトダウンした。
初めて見る父の姿だった。そして1時間の沈黙の後、一言だけ「歩行者用信号機さんと仲良くするんやで。」と言った。
時差式史上最も長い時差だった。


今日も暑いし暗い。虫が集まってくるにも関わらず点滅し続けることはこの上なく辛い。
この時間にボタンを押すものもいない。こんな田舎じゃ当たり前だ。
「まぁ日中もボタンを押す人はいないんだけどね☆ピカピカ。」とチョケてみる。誰からも反応はない。
せめて虫。お前らは反応しろ。なんのために集ってくんねん。うっとおしい。激しく動くな。

虫を思考の中心に置くとむかついてきた。気晴らしに歩行者用信号機さんに話しかけてみる。

「今日も暇っすね~、人っ子ひとり通らない。自分も都市部行きたいっすわぁ。」

歩行者用信号機さんは愚痴っぽい。口癖は「まぁいいんだけどね。」だ。

「社会に抗ったってさ。」と言わんばかりに上下の赤と青をしっかりとライトダウンさせている。

歩行者用信号機さんが続ける。

「最近『赤』の奴が夜な夜な遊びに出かけてさ。困ってんのよー。下手に光らそうもんなら、あれ?人いなくない?ということにもなるし。」

たしかに。違う意味で立ち止まる。『赤』の抑止力としては最適解かもしれない。立ち止まっているシルエットが見えないことで人々が立ち止まるとは皮肉なものだ。

「たしかに『赤』の人、最近いないこと多いっすねぇ。」

「そうそう。ほんと困るよね。野球のナイター観戦だって。カープファンでさ、アイツ。夜な夜な近所のカープファンの家の窓からナイター盗み見してんのよ。」

「あれ?昔っからカープファンでしたっけ?」

「いやいや最近だよ。先月…の連休だったかな?ちょうどカープファンらしき車が通って。たしか、赤いラパン。」

その赤いラパンの後部に『カープぼうや』と『赤の人』のステッカーが貼られていたらしい。そこでピンと来てしまったようだ。
カープ好きすぎてなんでも『赤』を選ぶのはいい。でも信号機の『赤の人ステッカー』はちゃうやろ。そのラパンのやつどんなセンスや。

「それで『赤』のやつ、赤を司るモノとして『ぼうや』を応援しないわけにはいかない!とか言っちゃって。」

え?待って待って。『ぼうや』を応援しに行ってるんですか?だとしたらほぼ出番ないよな。
カープファンで『ぼうや』単体を応援してるやつを初めて聞いた。『ぼうや』側も驚きよ。「え?俺っすか?」ってなってるよ。
まぁでもうれしかったんかな。自分のステッカーと隣同士なのを見て胸熱くなっちゃったんかな。
かわいいやっちゃな。と僕が一人で笑いを堪えていると、『青』の人が切り出した。

「いやぁ…私もあの体勢、キープするのがきつくてねぇ。それで最初は私からライトダウンをお願いしたんですよ。」

『ぼうや』のくだりがこんなにおもろいのに普通に話を切り出す感じが『青』らしい。余韻もクソもない。
たしかに『青』の方は駆け出そうとする瞬間という実にピンポイントなワンカットを常に求められているわけである。ずっと光っているのはきついかもしれない。
今年で80歳になる『青』にはちょっときついというのはうなずける。

「まぁいいんだけどね。なんとかライトダウンで対応できてるし。」と歩行者用信号機さんは続けた。

愚痴っぽい人の「まぁいいんだけどね。」はきっと良くないんだろうな。といつも思う。
「まぁいいんだけど。」と言われた瞬間「よくなかったんやな。」と思うようになった。これは雲南市に来てから学んだことの1つである。

そんな話をしていると『赤』が帰ってきた。
えらく落ち込んでいる。歩行者用信号機さんが「今日もダメだった?」と尋ねた。

「はい…。今日も打席に立たせてもらえてなかったです。」

そらそうやろ。試合で『ぼうや』は使わない。『ぼうや』サイドもそんなつもりでバットは握っていない。
「『ぼうや』は打席に立つことないで。」と喉まで出かけていたが、
しばらくこの愛らしい『赤』を楽しむために、事実を伝えるのはもう少し先にしよう。と僕は思った。




父・母へ


雲南市に来て5年が経ちました。もう6年目になります。
時差式史上最長の時差を見せられてからはや5年。あっという間です。
今もなお、押しボタン式として毎日黄色点滅の信号機生活を送っています。
たまには赤信号で立ち止まって考えることも必要だなと思う毎日です。

お父さんが一番心配していた歩行者用信号機さんとの関係は良好です。
とても仲良くさせてもらってます。たまに「まぁいいんだけど」と言われるけれど、
「お互いさまやろ」と思って言いたいことは言い合える仲です。
虫だけは何を考えているかわかりません。相容れません。

田舎は何もなくてつまらないと思っていましたが、
周囲の人は結構おもしろいおかげで何とか楽しくやっています。
いろいろな人と関わっていると「田舎も悪くはないな。」と思い始めました。

いつか現役を引退したら田舎も悪くないですよ。

くれぐれもお体にはお気をつけて。


追伸

最近『感応式信号機』が増えています。



おわり。



 
【ライター紹介】
たにべえ。平成生まれ平成育ち。
2019年春~広島→雲南。
お酒大好き。3児の父。週7バスケのバスケバカ。