村上尚実さん
両親が雲南市出身ですが私自身が雲南市に住んだことはなく、高校卒業までは兵庫県神戸市に住んでいました。高校3年生の時に祖父が亡くなり、1人暮らしになってしまった祖母のそばにいたいと思い、進学のタイミングだったことから島根大学に進学しました。在学中は松江市で生活していました。そんな時に東日本大震災が起き、学生ボランティアとして東北へ訪れました。実際に被災地の状況を目の当たりにしたことで「自分は何のために生きるのか」と考えるきっかけになり、生まれ育った関西ではなく島根県で働きたいと思いました。
  雲南市には夏休みや冬休みのたびに帰っていたこともあり、どこか“ふるさと”だと思っていたので、島根県で働くなら雲南市の祖母の家に住むと決めていました。地元以上にふるさとだと感じる大好きな場所です。当時の就職先は出雲市でしたが、雲南市は通勤するにも便利な場所です。今も祖母と一緒に暮らしていることに喜びを感じながら生活しています。
  大学を卒業してからは出雲市内で働いていましたが、雲南市には寝るために帰るような生活を送っていました。社会人生活がバタバタしていたことから、雲南市に住んでいても雲南市のことはわからず、住民としてこのままでいいのか?とモヤモヤしていました。そんな時に雲南市のコワーキングスペース『三日市ラボ』に立ち寄る機会があり、三日市ラボを管理運営している『NPO法人おっちラボ』の方にモヤモヤをぶつけたところ「週に1回でもいいからおっちラボのスタッフとして働かないか」と提案してもらい、少しずつおっちラボの仕事に携わるようになりました。おっちラボで働いていると、様々な分野で活躍する方とつながり、自分自身の視野も広がって、雲南市っておもしろい!と感じました。出雲での仕事とおっちラボの仕事の兼業を約半年間続けましたが、現在はNPO法人おっちラボの職員として働いています。
  子どものころから雲南市は長期休暇のたびに訪れる場所で、雲南市でゆっくり過ごしたから地元に戻っても頑張ろう!という感覚でした。現在もその感覚は変わらず、落ち着いた雰囲気に日々癒されています。両親が雲南市出身ということもあるのか、自分自身も地元より雲南市の雰囲気の方が合う気がします。今は祖母と母、叔母も一緒に暮らしているので、自治会などに顔を出すことは母がやってくれていますが、運動会など体を動かす地域活動では、若者は頼りにされるので参加しています。
  バスやJRが通っているエリアや時間帯が限られてくることや、タクシーの運行も割と早い時間に終わってしまうので、飲み会の時には困ることもあります。運転免許は必須ですね。あとは、雲南市は山間地域なので、冬になると雪が積もるし寒いです。他には特に困ることはないですね。私の住んでいる家は雲南市街地にも近いので、買い物するにも便利です。
  私もそうでしたが、どこの田舎でも、最初は地域の皆さんとの距離感がわからないかもしれません。ですが自分自身が心をオープンにして、笑顔を忘れずに過ごしていたら、地域の輪に溶け込めます。人と人との付き合いを大切にしているので、1人の人間として思いやりの心があれば、どこの地域でもやっていけると思います。雲南市は本当にいいところです。地域の皆さんは優しいし、人とのつながりを感じます。雲南市には地域自主組織があるということもあり、地域の皆さんも意欲的で、一緒に頑張っていきたいです。自分ができる小さなことからでも「地域と一緒に頑張りたい」という気持ちは大切だと思います。
 

村上尚実さん
2014年4月に兵庫県からIターン
〈2019年1月取材〉